おすすめ育児本

発達障害バブル

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我が家の次男ミッキーは、自閉症スペクトラムとADHDの発達障害があります。長男ゲンキも、こだわりが強くマイペースなグレーゾーンBOYです。

次男ミッキーは、3歳から療育センターに通っており、5歳で「自閉症スペクトラム」「ADHD」の診断がつきました。小学校は、特別支援学級在籍です。

長男ゲンキは普通級在籍で通級に通っており、「自閉症スペクトラム」も「ADHD」も傾向ありのグレーゾーンだと感じますが、病院や療育センターには行っておらず、診断もとっていません。

→(「診断&障害名は必要?診断を受けることの意味」)


「発達障害バブル」という言葉を、聞いたことはありますか?

メディアで紹介され、「発達障害」が急速に社会の中で浸透しつつある今、少しでも言葉が遅かったり、少しでも他の子と異なる特徴を持つ子供たち、または生きづらさを抱えた大人たちが病院へおしよせ、発達障害の診断をとっている、その様子がまさに「バブル」だという指摘です。

発達外来や精神科の診察予約は数ヶ月待ち。療育を受けたくともどこも手一杯で、順番待ちをしなければならない現実。2012年の文科省の調査では、6.5%の子供たちに発達障害の疑いがあるとされました。ここ数年で割合が急激に増えており、「発達障害ビジネス」という言葉も出てくるほど、確かにバブル状態というのはうなずけます。



「発達障害」と言いたがる人たち (SB新書)
香山 リカ
SBクリエイティブ
2018-06-06


上記の本は、実際に発達障害を抱える当事者や関係者が読むと「よく言うよ」と感じる部分も多いですが、現在の社会情勢を見ると「言われていることも、まあわかるかな」と思います。

私は長男と次男を両方見ているので、「とくに診断を取るほどでもない人に、無理やり発達障害と診断名をつけることはない」と思います。ですが、本当に日常生活にも困っていてこのままでは生きていけないような発達障害の人が「薬を使って生きづらさを和らげる」ことも、必要だと思っています。

要するに、程度の問題です。まあ指摘されているように、「発達障害の定義はあいまいで、診察した医者によって変わる」ことや「血液検査や脳のCT検査などで、客観的に診断できない、問診やチェックリストによる診断」に問題があることは、私も感じています。

少し言葉が遅いだけで受診した3歳児にいきなり「自閉症スペクトラム」や「ADHD」の診断がつき、精神薬を処方されたなど聞くと、発達障害バブル、発達障害ビジネスは非常に危ういと感じます。早期療育は大切ですが、とくに低年齢の子への服薬は慎重になるべきと思います。
次男ミッキーも、多動・衝動性がかなり強い子なんですが、実際に「ADHD」の診断がつくまで2年間の経過観察がありましたし、服薬も6歳まで待ちました。

ひどい医者に当たらないように、受診者や保護者も気をつけることがまずひとつ。実際に診断を受けても、違和感があったらセカンドオピニオン、サードオピニオンを受けたらいいと思います。とくに服薬は、信頼できる医師とでないとおすすめしません。





ですが、「発達障害バブル」が否定的に言われる中で、それでも「発達障害」というこれまで見えにくかった障害が、市民権を得たことは重要で大きなことだと思います。上記の2冊は、「人と関わりたがらない」「落ち着きがない」といった自閉症スペクトラムやADHDのステレオタイプではない発達障害やグレーゾーンの人々を紹介し、「変人」「努力が足りない」と見られがちな人々も、広義で発達障害に当てはまる場合があると書いてあります。発達障害は人によって特性が異なり、チェックリストには当てはまらない人々も多く存在します。それでも、生きづらさは変わりません。

割合が増えているとはいっても、発達障害を抱える人は少数派で、無理解に苦しみ、孤立感を抱いていることも少なくありません。特性によって苦しんでいる人々が「なぜこんなにも自分は苦しいのか」を知ることは、大切だと思います。周囲の人間も「この人達はここが異なっている」と理解して接することで、ずいぶん変わってくると思います。特性を個性と捉えて、受け止めて生きられるようになれば楽になる気がします。

要するに、社会の側の問題というか。
受け取る側の問題も大きいな~とは思います。



また発達障害ではなく、少し成長がゆっくりな子、今はゆっくりに見えても後から追いつく子、もいます。昔は「大器晩成」「遅咲き」などと言い、肯定的に育てていました。「発達障害バブル」とは、そういった多様性を受け入れられない、認められない、社会の器量の狭さが問題なのではないでしょうか。

私自身、周りの子供を見ていて、発達障害が増えている一因に、子供の育ちの場の問題があるのではと感じるので、なんか、ここまで来たら、社会に馴染めない人は「バブル」でもなんでも、どんどん診断名をもらって、社会現象化しちゃって、健常と障害の人の割合がひっくり返るとこまでいっちゃえば、やばい!ってんで、何か変わらざるを得ないかもしれないと期待します。

社会が、受け取る側が変われば、発達障害は障害でなくなるかもしれない。

社会のバリアフリー化を「発達障害バブル」が後押ししてくれるかもしれない。

発達障害がなくとも、学校に馴染めず不登校になる子もたくさんいます。横並びで、みんなせーので同じことをしなければならない、そんな日本の教育が限界に来ているのではないかと、しょっちゅう指摘されていますが、変わりません。実際、英語とかプログラミング教育始める前に、もっと多様な学びの場を用意したほうが、よっぽどいいと思います。

スペクトラムとは、連続体という意味です。

誰だって「時間が気になって仕方ない」「うっかり忘れる」ことはよくあり、どこからが障害で、どこからが普通なのか、誰が決めるのでしょうか。誰にも決められないなら、困っている本人が決めたらいいと思います。困っている人が、困っている原因を知りたいと思うことは当然で、もしも楽になる手立てがあるのなら、使えばいいと思います。それが発達障害の診断を取ることなら、グレーゾーンの人でも取りたいなら取ればいいと思う。障害者として生きるか、個性として生きていくかも、自由だと思います。

もしも将来、ミッキーが一般就労を願ったら、私はできる限りのことはしてあげたいと思うし、逆にゲンキがどうしても会社でうまくやっていけず障害者手帳を取りたいと言ったら、それにも協力するつもりです。

ですがそれは、「本人が楽になる」ことが大前提で、親が楽になるため、先生が楽になるため、医者のためでも製薬会社のためでもない。それが「発達障害バブル」や「発達障害ビジネス」を考える上で、大切かなと思います。

きょうだい児~子ども同士の相性

引き続き、きょうだい児について考えてみます。
(「きょうだい児のこと」)

きょうだい児とは、障害のある子のきょうだいのことです。

とはいえ、ひとえに障害といっても肢体不自由から発達障害、いろいろあります。障害の程度も、重い軽いがあります。きょうだいの心情や状況も、障害のある子の介護の必要度に合わせて変わって来ると思います。さらには、子ども同士の相性もあるでしょう。

我が家には3人の男の子がおり、長男はこだわりの強いグレーゾーンBOY。次男は衝動性の強い自閉症+ADHDのハイブリッドBOY。三男もこだわりは強めですが、まあ一番育てやすい子です。次男のミッキーが一番手がかかりますが、性格的にミッキーと三男のユウキは相性がよく、仲良しです。が、左右対称にきっちりしていないと耐えられない長男ゲンキと、とにかくカオスにひっくり返したいミッキーの相性は最悪です。

この、相性の問題。

例えば来年度、ミッキーが小学生になるにあたって、「登下校に大人のつきそいがいるのか」があります。小学4年生になるゲンキが、ミッキーを連れて朝登校できるか。

うーん・・・ちょっと・・・無理そう・・・( ;∀;)

組み合わせがゲンキでなければ、行けそうなんですけどね。公園でたまにミッキーと遊んでくれる、ゲンキの同級生の女子だったら、大丈夫だと思うんですけどね。逆にユウキが入学の時は、ミッキーと2人で仲良く行ける気がします。ユウキは、けっこうミッキーに合わせてくれるんですよ。生まれたときから隣にいる、一番身近な存在だからこそ身についた、処世術なのかもしれません。

ゲンキはなんか、本当にどうしようもなく、ミッキーの取扱が下手だから・・・。これはこれで彼の特性だとは思いますが、ルールや決まりにうるさすぎて、沸点が非常に低く、ゲンキミッキーを任せると「あれはダメ」「それもダメ」「ダメって言ってるでしょ!」とすぐに大喧嘩が始まり、殴る蹴るの大乱闘で、二人とも体が大きくなってきたので、マジで危ないです。ユウキをちょっとトイレに連れて行って帰ってきたら(5分もないでしょうに)、いつもそんな状態です。

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これはいつか何とかなる問題なのか、もうどうしようもないのか。
ゲンキの側の問題も大いにあるので、時間がかかると思います。

ゲンキミッキーも、自閉症スペクトラムとADHDの特性をもっているので、出方は二者二様ですが、自分と同じだからこそ許せない部分もあるのかなと思います。

だいたい、ゲンキも登下校、微妙だし。
ずっとピョンピョンしながら歩いているから、友達に合わせられなくて、いつも1人だし。

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今だに危なっかしいゲンキに、多動のミッキーを任せるのはやっぱり難しいかな。しばらくは小学校の送り迎え、やらないといけないですね。


いつか、ゲンキミッキーが仲良く寄り添える日は来るのでしょうか。

ミッキーが成長し衝動性を抑えられるようになったら、少しは変わってくるのでしょうか。それともやはり、根本的に相容れないのでしょうか。ゲンキは、ミッキーのあの個性を、天真爛漫で自由で誰にもマネできない素晴らしい感性だと、プラスにとらえられるようになるのでしょうか。

私は、ゲンキ自身のためにも、そういう見方ができるようになればいいなと思います。

ミッキーがやってしまうはちゃめちゃな行動の、裏の気持ちをわかってあげられるように、なってほしいなと思います。

きっとそれこそが、ゲンキミッキーが、同じ屋根の下に生まれてきた意味だと思うから。兄弟でお互いに、補い合って生きていければ幸せですね。

でも、私には姉と弟がいるんですが、思い出しても、子どもの頃はケンカばかりでしたね。姉弟ケンカで窓ガラス割ったり、タンス壊したり、割とメチャクチャやっていました。どの家も、そんなもんでした。思春期の姉と反抗期の弟とは本当に仲が悪い時期もあったし、マジで家出たいと悩んだこともありましたが、今ではいい思い出です。

実際、姉も私も弟も、家を出てからのほうが仲が良くなりました。ずっと一緒にいすぎたら、衝突するのは当たり前なのかもしれません。それでも、幼少期を共に過ごした記憶は大きくて、十何年越しの冗談に笑い合ったり、価値観がやはり似通っていることを再認識するたびに、きょうだいっていいなと思います。血を分けた、唯一無二の存在です。

健常児だから、障害児だからと、あまり関係はないのかもしれませんね。ケンカして大きくなるのが、きょうだいなんでしょう。ただ障害があると思うように育たない部分があって、そこが難しいのかなと思います。

きょうだい―障害のある家族との道のり
白鳥 めぐみ
中央法規出版
2010-10-01





これはきょうだいの会のきょうだい達が、悩んでいるだろうきょうだいに向けてまとめた、きょうだいのきょうだいによる、きょうだいのための本です。

ケンカもできなかった。一緒に遊びたくても、遊べなかった。ずっと我慢し続けていたけれど、つい我慢できなくなって、障害のあるきょうだいに当たってしまった。それをずっと後悔している。

そんなきょうだい達の声なき声を読んで、ケンカができるだけでも、うちはずっとずっと幸せなんだと思いました。一緒に遊べるって、すごいことなんだと。





これはきょうだい児ではなく親子関係がテーマですが、知的障害のある柚子ちゃんが娘を産んで、試行錯誤しながら育てていく「だいすき」と、その娘のひまわりちゃんが成長してからを描いた「ひまわり」です。きょうだい児の心情に、通じるものが多々あると思いますし、もしも将来、障害のある子どもが恋愛をして出産を迎えるとしたら・・・と非常に考えさせられるコミックスです。

モメてもいいから、ケンカしてもいいから、体ごとぶつかっていく中で、学んでいくのかもしれません。一緒に育つって、そういうことなのかもしれません。関わりも持たず、無関心でいるよりは、ぶつかるほうが、殴り合うほうが、真剣に向き合っているのかもしれません。

きっと我が家のはちゃめちゃ3兄弟も、大人になって、お互いを大切に思いあえるようになる。

そう信じて。

きょうだい児のこと

きょうだい児、という言葉を聞いたことはありますか?

障害のある子の、きょうだいのことです。

子どもに障害があれば、親はもちろん毎日がとても大変です。介護の必要な重度の障害があれば、その子にかかりっきりになってしまうでしょう。その隣で、健常児のきょうだいは、寂しい思いや不安な気持ちを抱えて育つことが多いようです。

最近、よくその系統の本を読んでいて





考え込んでいます。

我が家には3人の男の子がおり、長男ゲンキはこだわりの強いグレーゾーンBOYですが、彼は個性の範囲内で(ちょっとマイペースが過ぎますが)社会でやっていけそうです。熱中すると、他の事柄が一切入らなくなる過集中タイプで、人体とか宇宙とか科学的な話に目がありません。根っからの研究者体質。まあ、そっち系にいってくれれば何とかなると思います。

次男ミッキーは、5歳で自閉症スペクトラムとADHDの診断がつきました。衝動性が非常に強い子で、支援がなければ、日常生活や就職も難しいと思います。

三男ユウキは一番普通な感じですが、ミッキーが大好きで、いつも大喧嘩をしながらずっとくっついてマネをしているので、荒っぽいのが玉にキズ。2歳差でまだミッキーのほうができることは多く、兄の優勢を保っていますが、あと1年もしたら逆転する気がします。その時、2人の関係がどうなるのかはわかりません。

発達障害の程度がもっとも重いのはやはりミッキーで、一番手がかかるのもミッキーで、出かける時、園や学校での行事、何かあると私はミッキーにかかりきりです。あとの2人を旦那さんに任せて、ミッキーにつきっきりです。でないとミッキーが荒れて、物を壊したり誰かに怪我をさせたりするので、目も手も離せません。

ユウキもまだ「ママママ」な年頃で、ゲンキも年齢よりはだいぶ幼いので、本当はもっともっと均等に手をかけてあげないといけないのはわかってはいますが、どうにもできないジレンマが・・・

体が3つあればと、心から思います。せめて、手と目があと2つずつあればいいのにと。

ユウキが生まれた時、ミッキーが予想以上に荒れて大変だったので、(「ミッキー~2歳4ヶ月 下が生まれて喋らなくなる」)3人目は無謀だったかと悩んだ時期もありましたが、年も近くコロコロと遊ぶようになった2人を見て、今は生んでよかったとしみじみ思います。ミッキーが子ども同士で遊ぶ楽しさを知れたのは、ユウキがいてくれたおかげです。ミッキーユウキは相性がよく、相乗効果でヒートアップしすぎてしまうほど、よく遊びます。

ただ、ゲンキとは・・・

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よく見かける一コマ。
どう見てもミッキーが悪いし、やっぱり兄弟が一番被害を受けていて、申し訳ないとも思うんだけど、これがミッキーなりの愛情表現で、遊びなんです。そしていけないこととわかってはいても、どうしても手が止められない。それが彼の特性であり、課題です。

BUT、ゲンキは気難しく、おふざけが許せない潔癖男子。
対友達でもそうですが、ミッキーにちょっかいを出されるのを、本当に嫌がります。それぐらいええやんか、ができません。ミッキーも昔に比べればかなりマシにはなりましたが、かまってほしい気持ちを、いじわるで表現してしまうので、2人の関係は・・・水と油。よくひとつ屋根の下に生まれてきたもんだと思います。この2人の相性の悪さは、ずっと悩みの種。そして、ゲンキをどうしてあげたらいいのか、最近よく考えます。

きょうだい―障害のある家族との道のり
白鳥 めぐみ
中央法規出版
2010-10-01





これはきょうだいの会に入っている障害児のきょうだい児が中心となって、きょうだい児の本音と、そんな時はどうしたらいいのかをまとめた本です。専門書を読むよりも、ズシッときます。とくに親には。

親が障害のある子の世話をする横で、小さい頃からずっと我慢をして育ってきたきょうだい児。いい子、賢い子、えらい子と言われ続け、その型に自分をはめ込んでしまうきょうだい児。(ここに関しては、うちの子達はちっともあてはまりませんが (^_^;))

他の家のきょうだいのように一緒に遊べなかった、きょうだいで同じ学校に通えなかった、同じ学校にいると目立つ障害児のきょうだいとしていじめられた、友達にきょうだいのことを言えなかった、家のことを手伝わないといけなくて遊べなかった、何となくわかってはいたけれど誰もきょうだいの障害のことを説明してくれなくて不安だった、などなど、きょうだい児の本音がたくさん載っています。

来年、ミッキーは小学校に入りますが、ミッキーだけでなく、ゲンキのケアもしてあげないといけないなと痛感しました。とくに、からかわれるのが大嫌いなゲンキが、目立つミッキーのことで友達に何か言われ続けたらしんどいだろうなと。

ミッキーが入学する前に、ゲンキにはきちんとミッキーの障害のことを話そうと思います。とくに発達障害は見た目ではどこに障害があるのかわかりにくいので、どうしていじわるをしてしまうのか、そんな時はどう接してあげればいいのか、どうしてミッキーは特別支援級に行くのか、もしもゲンキが友達から聞かれたらきちんと答えられるように、子どもにもわかるように、教えてあげないといけないと思います。

ユウキが小学校に入る時も、同様にミッキーのことでからかわれないか、注意して見てあげないといけないなと思います。


私がいなくなった後、ミッキーの面倒をきょうだいに見て欲しいとは、考えていません。きょうだいはきょうだいの人生を、精一杯楽しんで欲しいと心から思います。その一方で、せっかくきょうだいとして生まれてきたのだから、反目し合うのではなく、互いに思いやりや愛情を持って育って欲しいと心から願います。もしもミッキーが成人後も介助が必要で、私がその任を果たせなくなったら、迷わず施設に入れると思います。きょうだいに託すつもりはありません。でも、せめて、家族として、面会に行ってあげて欲しい。ミッキーの、家族として生きてあげて欲しい。

でもこうやって、きょうだいのことを考えてあげられるようになったのは、記憶が無いくらい大変だった一時期を思えば、心の余裕が出来てきたってことですよね。ユウキが生まれてからの1年くらいは、本当に毎日が綱渡り生活で、よくみんな生きていたな、誰も死ななくてよかったなって感じで、それを思えば、今は楽になったんですね。

明日は今日より楽になる!
子どもはどんどん成長していくのだから!


関わりことばを意識して

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最近、通級先の先生におすすめされ、湯汲英史さんの著書を、読んでいます。







湯汲英史さんは、早稲田大学で心理学を教える発達障害の専門家で、(社)発達協会などで活動されている、言語聴覚士・精神保健福祉士です。

誤解されやすい子どもたちへの、適切な関わり方をわかりやすく書かれていて、非常に参考になります。とくに、家庭でも実践しやすい「関わりことば」をおすすめします。

例えば、乱暴な子、口よりも先に手が出てしまう子には、
「そっと」「ゆっくり」「大事」「やさしく」
などを、周囲の大人が意識的に声掛けしていくことで、状態が改善されていくそうです。

他人に興味がない、集団行動ができない子には、
「いっしょに」「はんぶんこ」
など、人との関わりを意識させるような声掛けを。

気持ちの切り替えが苦手な子には、
「残念」「仕方がない」「大丈夫」
と伝え、自分で唱えさせることで気持が落ち着くことも。

他にも、場面ごとに、狙いとともに、効果的な声掛けのやり方を紹介してあります。

わかりやすい言葉で、何度も何度もくり返し声掛けすることで、発達に不安がある子どもたちにも、大切なことを教えることができる、その声掛けを「関わりことば」と命名され、家庭療育の大切さを説いていらっしゃいます。

どれも簡単で、普段よく使うような言葉ばかりです。
でも、意識的に、場面ごとに、もっともっと言ってあげないといけないんだな~と、読んでいて、実感しました。自閉症スペクトラムで言葉の遅れのある、次男ミッキーにも、どんどん言ってあげようと思います。療育って、難しく考えなくても、当たり前のことを、障害のある子にもわかりやすく教えてあげること、なのかなと。それにはもちろん、専門機関で専門家による訓練も要りますが、毎日の家庭の中でも、やれることはたくさんあります。

何度も聞いているうちに言葉を覚えて、自分で言うようになって、いつしかその言葉の意味を理解して、守れるようになるように。そんな成長を、願って \(^o^)/

キングof育児書「子どもへのまなざし」

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児童精神科医の、佐々木正美先生を知っていますか?育児の臨床経験が豊富で、発達障害にも詳しく、多くの著作がありますが、その中でも最も素晴らしいベストセラー「子どもへのまなざし」をご紹介したいと思います。

ベストセラーなので、どこかで目にしたことがあるかもしれませんが、ぜひ家に一冊持っていてほしい本です。育児書というよりは、育児にまつわる読み物ではあるんですが、「こんな時はこうしましょう」的な実用書よりも、子育ての本質で一番大切なことをダイレクトに教えてくれる本で、とくに育児に迷っている人、悩んでいる時に読むと、もう泣けて泣けて・・・( ;∀;)
でも泣いた後は、「そうか、そんな簡単なことだったんだ」と目からウロコが落ちたようなさっぱりした気分になれる、不思議な本です。親の仕事は、ただもうひたすら、子供を愛すること。それだけなんですね。その愛し方さえ正しければ、どんな子供もまっすぐにすくすくと伸びていくと書いてあります。

佐々木先生が何度も何度も書いているのは、「子供が望んだことをその通りにしてやればいい」ということです。「親が望んだことをさせる」「周りの子供と同じことをさせる」のではなく、「その子が望んだこと」をするのが、ポイントです。過保護〇、過干渉?。このさじ加減さえ間違わなければ、何をしてあげてもOKだと。

子育てをしていれば、そのさじ加減の難しさがお分かりかと思いますが、それでも小さいうちにどれだけ望んだことをしてもらえたかで、その子の生涯の基盤ができるそうです。小さいうちに希望通り愛されなかった子供は、成長してから心身症を発症しやすく、そうなってから愛し直しをするのは、とても困難で不十分な結果になってしまうと。乳幼児期は最も親が子供の希望を叶えてあげやすいのだから、甘やかしてはダメになるなんて心配せずに、存分に抱っこして頬ずりして、一緒に遊んであげて、食べたいものを作ってあげて、子供を愛してくださいと。

「子どもへのまなざし」には、「続 子どもへのまなざし」「完 子どもへのまなざし」の3冊があります。


「続 子どもへのまなざし」は、「子どもへのまなざし」の反響が大きく、本当に子供のいいなりにやってあげていいのかなど、たくさん寄せられたお便りや質問に、佐々木先生が丁寧に答えていく内容です。

「完 子どもへのまなざし」では、より深刻化していく子供を育てにくい社会の中で、どのように子供を育てていけばいいのか、そして半分以上のページを使って、自閉症などの発達障害をもつ子供について詳しく説明してあります。

我が家には三部作を揃えていますが、やはり一番参考になったのは、「完 子どもへのまなざし」の発達障害をもつ子供についてまとめられた部分です。自閉症の人の感じ方、考え方が、これほどまで私たちとは違うのだと、切々と書かれています。それでも、育て方の基本は普通の子と同じであり、「子どもの望んだことを、望んだとおりに十二分にやってあげること」「それから、こちらの社会での仕組みを少しずつ根気よく教えていくこと」に尽きると読んで、本当に感動しました。

彼らの望んでいることは、わかりにくいかもしれない。社会の仕組みを教えるために、いろいろな工夫が必要かもしれない。より険しく、困難な道のりかもしれない。

それでも、親のやるべきことは変わらないのだと深く実感することができました。私たちが望むべきは、他の子と同じようにできるようになることではなく、親の望んだ通りに育つことでもなく、ただただ、その子が幸せに、その子らしく生きられるようにサポートすることなんですね。そうしてあげることが、社会に適合する一番の道でもあると。

見失いがちなことですが、その気持ちを常に持って、子育てしていきたいと願います。

自閉症の人に効果的な「ティーチプログラム」についても、書かれてあります。構造化、視覚化、予定をあらかじめ伝えておくなど、発達障害のある子供への基本的な接し方として有名ですね。アメリカのノースカロライナ州やデンマークでは、州や国を挙げて自閉症の人へのサポートプログラムが充実しており、「自閉症専用の学校」や「自閉症専用のプログラム」で学べると読んで、もう海外移住しようかしらと本気で思いました。

日本では、できないんでしょうか。

常々、思っていたんですよ。日本式の、横並びの、みんなで一緒にって教育法が、もう決定的に自閉症スペクトラムの人々には合わないのではないかって。だから、二次障害を多く引き起こしてしまうのではないかって。

ノースカロライナ州では、知的には高いアスペルガーの人も、「自閉症専用プログラム」で学びながら、「いかに自分たちは他の人と違っているのか」を徹底的に教えられるそうです。その違いがわからないと、「どうしてできないのか」がわからず、自己肯定感が下がってしまうからだそうです。知的に高ければとりあえず普通級に入れられて、あっぷあっぷしながら、必死にみんなについていかざるをえない日本の現状を思うにつけ、どうして日本の教育(社会も?)はマイノリティーを認められないのだろうか・・・と悲しくなります。

例えば、「自閉症にやさしい村」みたいなのがあれば、みんな混乱せずに粛々と落ち着いて、暮らしていけるのではないでしょうか。みんな人と違っていいんだよ、自分一人だけの世界があっていいんだよって、やさしい視線の中で暮らしていけることができれば、どれだけの悩み苦しんでいる人たちが、救われるのでしょうか。

そんな夢のような暮らしを、夢見て。

profile

筆者:nontan
男の子3人を育てています。
長男ゲンキ(2009年生)
こだわりの強いグレーゾーンBOY
+アトピー&卵アレルギー

次男ミッキー(2012年生)
ASD+ADHDのハイブリッドBOY
+ぜんそく&卵エビカニアレルギー

三男ユウキ(2015年生)
今のところ普通に見えるけれど…アレルギーなし

出産前は書店勤務&JPIC読書アドバイザーとして活動していました。子育てが一段落したら、読み聞かせ活動を再開したいです!
はじめての方は、こちらの記事をまずお読みください。

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