自閉症スペクトラム

点と線の記憶

自閉症の人は、記憶が線でつながらず、点でしか記憶できないと本で読んだことがあります。

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)
東田 直樹
KADOKAWA/角川学芸出版
2016-06-18


自閉症の僕が跳びはねる理由 (2) (角川文庫)
東田 直樹
KADOKAWA/角川学芸出版
2016-06-18





それは、どういうことなのか。想像してみました。

例えば、私は筋金入りの方向音痴なのですが (^_^;) 、迷子になったことは数しれず、遠足先で、家族でのお出かけで、友達との遊び中に、昔から待ち合わせ場所にたどり着けないことはしょっちゅうです。ナビやグーグルマップなどの便利な機能と、周囲の暖かい支援というか諦めのおかげで、何とかやれています。

以前、友人と話していて
「鳥瞰図みたいに、地図上を歩くイメージにしたら、迷わないんじゃない?」
と言われて、仰天しました。

「え?そんなことできる人がいるの??」
って感じで (^_^;)

そう。私は、地図が読めません。
場所の把握は、もっぱら目印で覚えています。

なもんで、同じ目印があると

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道を誤認識してしまいます。
また、夜で暗いとか、雨が降っていて見えにくいとか、反対側から帰ってくるとか、ささいな変化でよくわからなくなってしまいます。

さすがに、日常的によく使う道は覚えているのですが、たまにしか通らない道とか、車線が多くてややこしい道だと、しょっちゅう曲がる場所を間違えます ( ;∀;)

地図ではなく、目印と景色でしか記憶していないので、それを忘れると道がわからなくなります。

自閉症スペクトラムの人々が、記憶が線でつながらずに点で存在している、というのは、こういうことなんだろうなと思います。頭の中で道がつながらず、要所要所の目印でしか、状況が把握できないのではないでしょうか。

私にとって方向音痴は、まあ不便ですが、それ以外の能力で(困ったら人に聞くとか、ナビを使いこなすとか)何とかカバーできるレベルです。また、家事や勉強など、方向以外は特に問題なくスムーズにできます。

ですが、自閉症スペクトラムの人々は、日常的な全てのシーンで記憶が点でしか存在せず、「あれ、これはどうやるんだっけ?」「これは前にも見たから、前と同じ(応用が効かない)」と、どうすればいいのかがわからなくなってしまう上に、コミュニケーションが苦手なため、なかなか人に聞けません。

どれだけ、大変かと思います。

目で見える形に整理してあげる(視覚支援)や、見通しがつきやすいように整理してあげる(構造化)など、自閉症スペクトラムの人に合った支援が、必要となります。

そして、「わからなくなったら人に聞く」「できないところは手伝ってもらう」ように、根気強く教えていくしかないのでしょう。(← ミッキーが一番苦手な部分 (^_^;))

発達障害の子供が増えている原因

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発達障害の子供は、増えていると言われています。
発達障害で「通級指導」を受けている子供は9万人以上おり、この20年で約7倍になったというデータもあります。

その原因ははっきりしていませんが、一つは、社会が排他的になり、以前は障害ではなく個性としてとらえられていた子供たちが、生きにくさを抱えているため。

また、発達障害という言葉が一般に知られてきたおかげで、親や保育者が子供の気になる様子に気づきやすくなり、診断がつきやすくなったためと言われています。

でも、私はそれだけではなく、生活様式の変化も大きいのではないかと感じます。それは感覚統合訓練を受けることで飛躍的に伸びたミッキーを見ていて、療育を受けなかったらどうなっていたかと思うせいです。

→(「感覚統合ってなに?」)

最近の子供は体幹が弱いとよく言われます。それは外で遊ぶことが減った、ボール遊びをしなくなった、便利な機器が多く発明され、生活のための動きが減ったことなど、生活習慣の変化が大きな原因です。

ゲームが出てきて、子供が外で遊ばなくなった。本を読まなくなった。友達と遊ばなくなった。さらには自由に遊べる公園が減った、少子化で近所に子供がいない、子供を狙った犯罪などの安全上の問題など、数え上げればきりがないくらい、子供をめぐる環境は時代とともに変化しています。

幼稚園でも、「最近の子は蛇口のひねり方から教えないと、水も出せません。自動水栓のお家が増えてきて、水道の前で手を出して待っている子も多いんです」なんて、笑えない話を聞きます。昔は、日常的に様々な動作をしなければ、生きていけませんでした。トイレだって、洋式よりも和式のほうが足腰を使いますもんね。掃除でも、ほうきの使い方や雑巾の絞り方など、以前は家庭で身についていたことが、意識的に教えなければできない子供達が増えたのです。

地域や大家族で育った昔は、社会性が今よりも発達しやすかったはずです。例えば、食事中の会話でも、母子で一対一でしか喋ったことがない子供は、人の会話を聞く、自分の会話の番まで待つ、多くの会話の中から必要な声を聞き取るなど、双方向性のある会話のスキルが身につきにくいです。

一概に昔がよかったとは、言えませんよ。
昔は学校に行けない子供も多かったし、家の手伝いで遊ぶ暇もなかったかもしれないし、医療の進化のおかげで、お産でも病気でも死ぬ子供は劇的に減りました。

それでも児童精神科医の佐々木正美先生も著書で書いているように、子供の遊びや生活をめぐる環境は、時代とともに悪化していると言わざるとえないと思います。子供同士で生き生きと遊べない、そんな子供が大人になったら、やはり精神症を発症しやすくなると書かれています。遊びが減ったこと。生活が様変わりしたこと。これが、発達障害の子供が増えている一番大きな原因ではないかと思います。

私も子供の頃の思い出と言ったらとにかく、いたずらも含めて、友達と毎日暗くなるまで遊び歩いたことばかりです。ブランコも砂場もジャングルジムも木登りも、やりたい放題でした。怪我もたくさんしたけれど、友達と山のように遊んだ記憶が、今の自分の核にあります。

今の子供たちは、もうそんな遊び方ができなくなっています。

虐待やいじめ、不登校やひきこもり、子供をめぐる問題は複雑化深刻化し、どこかで抜本的に改革しなければいけないはずなのに、もう無理かもしれないとも、どこかで思います。

社会が病んでいる。
子育てをしていて、一度も感じない親はいないのではないでしょうか?

電車の中で子供が泣いたら・・・病院で子供が泣いたら・・・お店で子供がぐずったら・・・そんなシーンは子育てをしていれば日常的にありますが、その親子に対する冷たい視線や心無い対応は、増えているのが現実です。発達障害のある子供には、その数十倍の圧力がかかります。大人がそうなのですから、子供社会でも同じです。違う人、違う存在に対する排外的な感情が、社会にあふれかえっています。

次男ミッキーも些細なことで泣いたり暴れたりするので、公園ではすでに「違う子」認定されて、仲間に入れてもらえません。私も一緒に遊ぶことで、かろうじてその場にはいれますが、たぶんミッキーは楽しくないでしょうね。でも、なんとか、友達と遊ぶ楽しさを教えてあげたい。友達と群れて遊ぶ中から学ぶたくさんのことを、ミッキーにもどうか味わってほしい。切に願います。

発達障害の子供たちは、社会性が育ちにくい特性の上に、友達と関わる機会そのものが少ないため、伸ばすことができないというダブルの壁が立ちはだかります。本当なら発達障害がある子供こそ、友達とたくさん遊ぶ経験をさせなければいけないのだと思います。

さらには、眼の動きや身体の使い方、バランス感覚といった、学力や社会性に一見関係のなさそうな部分が、実はとても大きく生活全般に関わっていて、そこが弱い子供は遊び中心の子供社会でやっていけない=社会性が育たないのだと思います。私も療育先で教えてもらうまで、身体の発達と心の発達がそこまで密接に結びついているという意識がありませんでした。

昔は、グレーゾーンの子も友達と外で走り回って遊ぶうちに、体幹や眼の動き、身体の動き全般がバランスよく伸びていき、そのうちそれ以外も凹凸が気にならなくなるくらい周りに追いつくのに対して、今では、ついていけない子はいつまでもついていけずに差は広がるばかりで、ついに「障害」と認定されてしまうような、そんな気がします。

過敏だったり鈍かったり、どうしても他の子と感覚が違う子は昔からいたと思います。社会性や言葉が伸びにくい、身に付きにくい子の割合は、実はあまり変わらないのではないでしょうか。漫画家の水木しげるも4歳まで話せずに、知恵遅れだと思われていたと自伝で書いています。それでもそんな彼の個性を周囲は受け入れ、「ゲゲゲの鬼太郎」などの名作を生み出すことができました。

最近は逆に、自閉症やADHDなど、発達障害のことが広く知られてきたからこそ、小さい頃から特徴的な行動をしていないか、親も保育者も必死に確認してしまっているようにも感じます。ブログを書いていても、「言葉の遅れ」や「自閉症特徴」などのキーワードで検索して来られる方は多いし、きっと必死で子供のことを理解しよう、どうにかしてあげたいという気持ちからなのだと思います。
自閉症スペクトラムやADHD、LDなど、子供によって個性は千差万別ですが、共通する特性に対して正しい接し方を心がけることで、子供も周囲の大人もぐっと生きやすくなるのですから、専門的な療育やペアレントトレーニングを受けることは大切だと思います。なぜ他の子と同じようにできないのかを、叱って育てるのではなくて、理解して寄りそって育ててあげることで、その子の人生は豊かで幸せなものになるはずです。

でも本当なら、発達障害があろうとなかろうと、子供の個性は一人一人違うものだし、違っていいはずです。その違いを認められない方向に、社会が向いているような気がしてなりません。そんな現代の社会で自分らしく生きていくためには、「障害」という看板を背負わなくてはいけないのかと思ってしまいます。とくにグレーゾーンの子供たちは。

そして、これからもっと、発達障害と言われる子供は増えていくと思います。
スマートフォンが出始めて、そう感じます。

スマホの害は、私はとても大きいと思う。長男ゲンキを育てていた頃には、スマホはまだ一部の人しか使っていなかったのに、今ではみんなが持っています。お母さんもお父さんも、空き時間はずっとスマホをいじっています。みんながみんなそうではないけれど、そういう親が増えているのは事実です。便利だし、つい見てしまうんですよ。気持ちは、よくわかります。
LINEやSNSで、ママ友同士の結びつきは強くなったかもしれないし、集まって子供を遊ばせやすくなったかもしれませんが、子供がぐずったらすぐにスマホのゲームをやらせて、自分たちはおしゃべりに夢中で、子供の要求には気づきません。

そうして育った子供は、どんな子になるのだろうかと思います。

もっと幼少時に適切に関わっていれば、何とか育ったかもしれない子供たちが、これからどんどんグレーゾーンで診断を取りにくるのではないかと危惧します。そうしてそのうち、定型発達児と発達障害児の割合が逆転したりしてね。それはそれで、面白いかもしれません。私たちの当たり前が、根底から覆る日が来るのかもしれません。それはきっと、子供たちからの「逆襲」なのでしょう。



精神科医の佐々木正美先生の、おすすめ著書。子供を育てるすべての人へ、読んでほしい1冊です。

友達が欲しい

我が家の次男ミッキーは、自閉症スペクトラムとADHDの発達障害があります。

4月から、地域の公立小学校の特別支援学級へ入学しました。学校へは覚悟していたよりもスムーズに慣れ、4月5月は疲れも見られましたが、6月に入ると落ち着いて通えるようになりました。

ですが、まだまだ難しい「友達」・・・

ミッキーはよく「友達ができたら」「友達と何何したい」と、仮定の話をしていますが、そうです。友達と言えるほど親しい子は、いません。幼稚園時代も、小学校に入ってからも、友達はできません。

一時期、友達を作ってあげたいなと私が張り切って、公園で近所の子に入れようと必死にがんばったことがあったのですが、どうしても難しかった。そもそも、子供同士で喋れなかった。ミッキーは話しかけられても気づかないことも多く、タイミングが合わなければ意思疎通もできません。自分の言いたいことをまずは言ってしまわないと気がすまないので(これは今もそう)、会話が成り立ちません。

他の子が何をやっているのかも理解出来ないし、どんどん変わっていく遊びのテンポにもついていけません。何をしたらいいのかわからず、どんどん不安感がつのり、撃沈するパターンがほとんどでした。

公園でもささいなことで泣き叫び、大暴れし、ドン引きされ、こりゃ逆効果だわな~ということで、しばらく放課後も療育を中心にしていたのですが、やっぱり小学生になると、ミッキー自身も「友達が欲しい」と感じるようになってきたようです。

とはいえ、まだ学校の行き帰りで同じクラスの子にあっても、頑なに私としか喋ろうとしないし、クラスでも手伝ってくれる子や上級生にもガン無視です。

あんた、ほんまに友達ほしいんかいな・・・

という感じですが、なかなか本心と行動が伴いません。どうすれば友達になれるのか・・・これは本当に教えるのが難しいです。

友達になりたいなら、相手が喜ぶことをする。それはあいさつだったり、きちんとお礼を言うことだったり、困っている時に助け合えることだったり、一つ一つ説明すれば理解はできるのですが、いざその場になると、身体が反応できません。気持ちの切り替えが、本当に下手ですね。

でも、長男ゲンキもマイペースな人で、小学校2年生くらいまでは1人で砂いじりをしていることが多かったらしく、様子を聞いて心配して、懇談会で先生にも相談して、先生も心配して遊びに誘ってくれたりしたのですが、

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それが逆効果だったようで、情緒不安定になってしまった時期がありました。無理に入ってみたものの、遊びのルールにこだわりすぎて、友達ともめることが増え、帰ってくるなり泣きじゃくる日もあり、通級で相談すると

「ほっとき。1人の時間も必要なのよ。別に、1人でいたっていいのよ。しんどい思いしてまで、友達と遊ぶことないよ。充電して、がんばれるために自由時間があるんだから」

と言われ、悟りました。

ゲンキも今では、同じようなマイペースな子といつも一緒にいて、休みの日も仲良くまったりと遊んでいます。

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友達は、無理に作るものではないということですね。いつか、自分に合う子に出会える。人と無理に付き合うのは、自閉症スペクトラムの子には不可能でしょう。友達がたくさんいる = いいこと、ではないと親も悟る必要があります。

ミッキーも、少しずつ人との距離がわかってきたようで、支援級の他の子とちらほらお喋りするようになってきました。まだまだ健常の子と混じるのは難しいですが、5年後でも、10年後でも、一緒にいて安心できる友達が、できていたらいいなと思います。

進路の悩み・・・通級と支援級、支援校のライン

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我が家の次男ミッキーには、発達障害があります。3歳から療育に通い、5歳で自閉症スペクトラムとADHDの診断がつきました。今、6歳で1年生です。

4月から、兄も通う地域の公立小学校の特別支援学級に入学しました。入学前は、普通級、支援級、特別支援学校と、いろいろ見学に行って、進路を決めました。
→(「特別支援学校に見学に行ってきました」)

幼稚園では、児童発達支援や「ことばの教室」の通級教室を併用していましたが、入学後の進路は

①普通級で通級教室を利用
②特別支援学級
③特別支援学校

の3パターンから、選ばなければなりません。

うちの地域では、重複利用を避けるため、支援学級や支援校に入ると、通級教室は利用できなくなります。療育を続けるには放課後デイサービスや、病院などを探さなければなりません。ミッキーは通級教室が大好きだったので、「支援級でも通級させてほしいな~」と思っていましたが、やはり通級に通ってくる子供たちと見比べると発達障害の程度は重く、「うちの子、目立つな・・・」と感じていました。

通級のお楽しみ会で、ちゃんと座って人形劇を見ている子たちの中、ずっと走り回っているミッキーに凹んだこともありました。みんな何か問題を抱えて通級してきているのだとは思いますが、ミッキーと比べると、正直、「この子たち、何が問題なの?みんな大丈夫そうな、いい子ばっかりじゃん」と思ってしまいました。

長男ゲンキも発音に問題があり、同じ「ことばの教室」に通級していたので、
(→「さ行が言えない ゲンキの発音訓練 ことばの教室へ」)

支援級に通ったほうがいい子と、普通級で通級に通ったほうがいい子の間に、やっぱり見えないラインがあるな~と感じます。

親がどうしても普通級に入れたくとも、支援級の方が向いている子に無理をさせれば、必ずどこかで歪が出てきます。適正就学と言われます。その子に合った場所で就学させてあげることは、とても大切です。

入学後の様子を見ていても、ミッキーは、普通級ではやっていけなかったでしょう。通級教室だけでは、手に余ったと思います。支援校にしようか迷った時期もあり見学も行きましたが、支援校の中では、ミッキーはできる子になってしまうのですよ。おそらく他の子に時間がかかる中で、待てないミッキーは、キレていたと思います。

ミッキーには、支援級への進学が最も適切だった。

今は、心からそう思います。

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普通級のラインは、

まず授業中に座っていられるかどうか。そして友達と関われるかどうか、です。勉強についていけなくとも、先生の指示で動けて、友達のマネができて、人と適切に関われる社会性があるなら、なんとかなる気がします。

友達と遊べていて、友達関係を重視するなら、通級などで支援しつつ、普通級でがんばらせるのも一つだと思います。みんなと同じがいい、違った目で見られたくないと、子供本人が強く感じている場合は、支援級に入れると逆にやる気を失ってしまったり、自尊心が傷ついてしまうこともあります。


支援級のラインは、

教室が苦痛でないか、が最も重要です。とくに感覚過敏(音や光に過敏に反応してしまうこと)がある子は、知的に遅れがなくとも、騒がしい教室が苦痛で、やっていけないこともあります。集団に合わせるのがとにかく苦手で、整列やあいさつを強制されることが、私達が考えている以上に苦痛な子もいます。

ミッキーが、そうですね。学ぶ意欲はあっても、交流級では刺激が多すぎて、一斉指示が入りません。そこに居るだけでいっぱいいっぱいになってしまって、勉強どころではなくなってしまいます。人が多すぎると怖くて、友達に話しかけられても固まってしまいます。

教室が辛い、集団に合わせるのが苦手という子は、少人数で本人のペースでできる支援級のほうが、向いています。勉強も、個別で見てもらえます。知的な遅れはないからと普通級で無理をさせると、不登校やうつ病などの二次障害を発症してしまいます。


支援校のラインは、

日常生活にどれだけ支援がいるか、です。例えばまだオムツが取れていない子は、支援学校であれば自立訓練として、学校で支援のノウハウがあると思いますが、一般的な小学校ではなかなか難しいでしょう。最低限、自分のことを自分でできるかどうか、が支援校のラインだと思います。

排泄、食事、着替えなどに支援が必要な場合、とくに安全面で不安がある場合、支援校を選ぶ方が無理がないと思います。支援校であれば身辺自立できたかもしれない子が、適切な教育が受けられなかったせいで、一生オムツのままだったら。それはかわいそうな気がします。



世界中ではインクルーシブ教育といって、障害のある子もない子も、同じ場で学ぶという教育への流れが進んでいます。理念としてはすばらしいし、本当に、実現すれば理想郷だと思います。日本の教育は、障害のある子は支援級や支援校に分離して、適切な場所で学ばせるというスタンスです。遅れていると思います。

インクルーシブ教育を実現し、映画にもなった「大空小学校」の例もありますが、


まだまだ少数例ですし、少なくともうちの地域には、こんな学校はありません。あれば、多少遠くとも、絶対に通わせてあげたいと心から思います。大阪に引っ越そうか、真剣に悩んだこともありました。そりゃ選べるなら、いろいろな子が混じり合って、一緒に育ち合っていくのが、一番いいに決まっている。

でも現実問題として、横並びの教育現場がまだまだ主流の中、自閉症スペクトラムの子供をどこに通わせるのが一番いいのか。本当に、あの一斉指示でみんなが同じことをやるという日本の教育は、自閉症スペクトラムの人にとって、どれだけ苦痛でどれだけ合わないかと、思います。

現実的な選択肢の中で、まだしもマシなところはどこなのか。通級なのか、支援級なのか、特別支援校なのか。成長に伴って、場所は変更もできます。まずは今の状態と、お子さんにどう成長していってほしいかを、見極めましょう。

支援級に入れたからこそ、本人なりのペースで友達と関われるようになり、高学年で普通級に移るほうがいいとなるかもしれません。逆に低学年は普通級で楽しそうだったけれど、学年が上がるにつれ授業についていけず、思い切って支援級に移動させたら落ち着いた、となるかもしれません。私はどこで学んだかよりも、どれだけ人と適切に関われるようになるか、どこなら本人の自尊心が育つか、だと思っています。

私の個人的な感想ですが、小学校をどこに進学させようか迷っている方は、参考にしていただければと思います。

自由時間が苦手

我が家の次男ミッキーには、自閉症スペクトラム障害があります。

ミッキーは、自由時間が苦手です。何をすればいいのか、自分で決めることができません。何をすればいいのかわからないと、不安になって荒れます。普通の子なら一番大好きな、フリータイムが苦痛なんですね。

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これは自閉症スペクトラムの特性としてよくあるようで、「自由時間の過ごし方」を意識的に教える必要があります。


支援方法として代表的なのは、

1、ルーチンワークを組み込む

朝の用意が終わったら金魚の世話をするとか、休み時間はトイレに行ってお茶を飲むとか、毎日の習慣として、やるべきことを教えておく方法。

2、やることを用意しておく

用意が終わったらこれをやってね、と事前に準備をしておく方法。順番にファイルやトレイを用意しておくことで、自習ができるようになる。

3、自分で選ばせる

この中からやりたいものを選んでね、とカードや写真などで選ばせる。これも選ぶ数を増やしていって、自分からやりたいものを探せるようにする。

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などがあります。家庭でも、要所要所で1、2、3番を併用して、できるだけ荒れずに過ごせるように工夫しています。

遊び相手の三男ユウキがお昼寝で遊べない時は、「これどうぞ」とパズルや絵カードなどを渡すと、それなりに静かに一人遊びができるようになりました。選択はまだ3択くらいでないとできないので、少しずつ選ぶ数を多くしていきたいです。

以前は出かける前など、大人が準備でバタバタしている時間に、手持ち無沙汰でとんでもないいたずらをしたり、悶々と不安になっていざ出かけようとするとパニックになったり、していました。

「出かける準備カード」を渡しておくと、荒れずに1人で準備ができるようになり、今では口頭の指示だけで動けるようになりました。やるべきことがわかると、不安感もずいぶん和らぐようです。

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つい言葉で説明してしまうのですが、ミッキーはやはり、書くとすっと入ります。自閉症スペクトラムの人は、見えないものはないものと同じだそうです。面倒くさがらずに、目で見える形に(視覚支援)してあげると、うまくいきます。

ミッキーはまだ、「あ、不安そうだな」と周りが気づいて「これで遊んだら?」「ここに書いてある用意をしてね」と、助け舟を出してあげる必要があります。自分からやるべきことを見つけられるようになるには、もう少し時間がかかりそうです。

困った時は「何をやればいいですか?」と聞くんだよと、ミッキーに何度も教えていますが、なかなかその一言が自発的に出ません。小学校でも、休み時間に一人で過ごすのは難しいようです。

時間はかかっても、好きなことをしていい時間、自由に過ごせる時間を、楽しめるようになってほしいです。それは人としての、尊厳や生き方にも、関わってくるように思うから。

profile

筆者:nontan
男の子3人を育てています。
長男ゲンキ(2009年生)
こだわりの強いグレーゾーンBOY
+アトピー&卵アレルギー

次男ミッキー(2012年生)
ASD+ADHDのハイブリッドBOY
+ぜんそく&卵エビカニアレルギー

三男ユウキ(2015年生)
今のところ普通に見えるけれど…アレルギーなし

出産前は書店勤務&JPIC読書アドバイザーとして活動していました。子育てが一段落したら、読み聞かせ活動を再開したいです!
はじめての方は、こちらの記事をまずお読みください。

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